何して遊んだ? part 3

金山団地で15の春(高校)を迎えました。家からも近い(徒歩通学でした)県立高校へ進学。ここは比較的新しい高校で同じ学区(当時は第7学区)に福岡県随一の修猷館高校がありました。

ここでも部活をやっていましたし、当時は修猷館に追いつけとばかりに朝や放課後に補修授業が組まれていましたので、いわゆる青春…的な遊びはあまり無かったと思います。

そんな中、アイドルに目覚めたのはこの頃です。当時は天地真理、中3トリオ、ピンクレディ、浅田美代子麻丘めぐみなどなど沢山のアイドルがテレビの音楽番組に出演していました。これを見て、振りを覚えて学校で仲間に披露して盛り上がっていました。当時は2〜3回見れば歌詞と振りがほぼ覚えられたのですが、最近では忘れる方が多くて…

ボーリングも続けていました。ボーリング場主催の大会にエントリーしたりもしていました。成績は飛び賞狙いですが。

最高の景品は梅酒…未成年なんですが。

中学時代に友達のお母さんから教えてもらった麻雀を友人に教えて、麻雀もしていましたね。ジュースをかけたくらいですが。高3になってもやっていました。(現役合格なんかする訳ないですな)

パチンコにはじめて行ったのもこの頃です。パチンコは私の性格に合わなかったのでのめり込むことはありませんでした。じーっと同じ動作を続けるのがダメでした。

母親と期末の数学で100点取ったら1万円という賭けをして、まんまと1万円せしめた事もあります。2回目は拒否られましたが、、笑

高校時代も色恋沙汰も無く、高3の受験シーズンを迎えました。

勉強なんかしてないので、現役合格は夢の夢、、予定通り浪人生活に突入です。

これまで振り返ると、悪い遊びもせずに、田舎の子供が田舎の少年に成長しています。

浪人時代は、今は無き水城学園という予備校に通いました。当時、東京の予備校から有名講師を博多に招いて授業をしていたのはこの学校くらいしかありませんでした。

やっぱり有名講師の授業は一味違い、大学受験勉強とはどう進めればいいのかが納得でき、授業が楽しかった記憶があります。加えて講師が実際に教えている大学(当時は大学の先生がアルバイト的に予備校でも教えているという形態がほとんどだったと思います。)の話し等を聴くうちに、福岡を出たいという気持ちを強く持つようになりました。

東京で神田川のような学生生活をおくるぞ! 

このスローガンの下毎日真面目に予備校に通いました。遊びらしい遊びをしなかった一年でした。