何して遊んだ? part 2

昭和40年代、中学に入ると部活があるし、勉強も忙しくなるのであんまり遊べませんでしたね。

ラジオを聴き始めたのはこの頃です。FM放送の音楽番組をよく聴いていました。初めてのリクエスト曲は、森山良子さんの "歌ってよ夕陽の歌を" でした。

洋楽も聴きました。本格的に音楽と出会ったと言えるかもしれません。

ボーリングの第一次ブームの真っ最中でしたね。2時間待ちはざら。お年玉でマイボール、マイシューズを買いました。

中山律子、須田加代子、並木恵美子、男子では矢島、山中、大橋などのプロがテレビのゴールデンを賑わしていました。

マイボールを持っている割には腕は上達せず、アベレージも150点台でした。でもボーリングはその後大学生まで続けていました。

中学の3年間はあっと言う間に過ぎて行った気がします。その頃住んでいた団地(小学生の時とは違う団地、金山団地)には、真ん中辺りに売店がありそこに同じ団地に住んでいた仲間がそれぞれの部活終わりに集まって来て、喋ったり、ジュース飲んだり、売店の兄ちゃんと一緒に遊んだりしてましたね。

金山団地、今や地下鉄が走っていますが、当時は交通手段といえばバスのみ。都心の天神まで40分くらい。越して来たばかりの頃は、ここは辺境か…本当に福岡市か…と思いました。周りは田んぼ、梅雨の頃にはカエルの鳴き声が煩すぎて眠れないなんて事もありました。

ちなみに部活は軟式テニスでしたがハッキリ言って弱かったです。笑

そんな色恋沙汰も無い、平凡な田舎の中学時代でした。