「生」と「死」の取り扱い説明書

最近、年齢も60歳を少し過ぎ「死」というものを意識しだした。(60代なんてまだまだ若造!っと大先輩からお叱りを受けるかもしれません。笑)

死=死の恐怖はどこから来るのか、何故死が怖いのか・・

老後をどう生きるか、思い残すことが無い死に方とは、人の幸せとは、余命が与えられたら、終活、、、無作為に図書館で既に10冊近く読みましたが、ばっちっとはまる回答を得られていません。

自分の中で体系的に整理できていないと言った方が適切かもしれませんが。

 

苫米地英人氏の「生徒死の取り扱い説明書」はその中でも理屈で死や死の恐怖を分析してくれており、「なるほどねぇ~」感を持ちました。

死の恐怖は分析できるものなので、分析してみると案外大したことが無いのが解りどうすればそれを克服できるかも見えてくる。

死の恐怖を日常のスパイス程度に考えられればもう恐怖は無い。

では、生きるということは何か?

自分とそれ以外の森羅万象(宇宙)、その対比の中で自分の機能を自分で見つける。その機能を生きることに付加する。

何だかよく解りませんね。(説明が下手で申し訳ありません)

宇宙(自分の外)から自分を見ることで生きているいまを実感できる。

ではどうしたらそんな実感が得られる、外から自分を見るという事は具体的に何をすればいいの? 答えはありませんでした。他人があれしろ、これしろと言うと、それは他人に決められたものになるので、自分のものではなくなるからだと思いますが、私のような凡夫は、「〇〇をやってみなはれ」と言ってくれた方がやっぱりいいよね。

本の最後にこんなことが書かれていました。

死について何らかの恐れや悩みは、心の作用で全部妄想。この妄想を感じるということが確実に生きていることで、生きているということを意識できるチャンス。

恐れ、悩みが今を生きている証拠だと気づけばあとは、生きている時にどんな機能を果たすかを考えればいいだけ。

自分が主人公でありプロデューサーであり脚本家なので、人生の脚本は自由に書くことができ、いつでも書き換えられる。

 

確かにそうかもしれませんね。

この本の中の宗教のところで仏教の考え方が出てきてちょっとおもしろかったので、今度図書館に行ったら釈迦の教え→大乗仏教→日本仏教と伝播してきた中でその教義(釈迦の教え)がどう変わったのかに関する本でも漁ってみようと思います。

 

「生」と「死」の取り扱い説明書

「生」と「死」の取り扱い説明書