PSE闘病記 その6

x+7日 今日は微熱が出て脇腹も少し痛い。体重の極端な増加は無いが本人的には腹水が溜まってきている感じがする。

1週間になるので、点滴の針も差し替えることとなった。

 

医師が来て、明日 x+8日にこれからの食道静脈瘤の発生を予防する為にEVLを行う事を相談して決定。

今日の体調が思わしくないが、腹痛や微熱はいつなくなるかもわからない為、やれるならさっさとやる事にした。

 

EVL手術予定時間は1時間。術後は食道が痛いらしい。しかし上手くいけば術後1週間未満で退院の可能性もあるらしい。

 

EVL手術は内視鏡で食道の壁を吸い込み輪ゴムを掛ける。これを静脈に沿って10ヶ所くらいやるらしい。

静脈は複数本あるので、2ヶ月おきくらいに何回かに分けて実施するらしい。

この第一回目である。

 

副作用としては食道の壁が輪ゴムで縛られる為に壊死して硬くなるので痛みが出る。他には熱くらいらしい。

 

PSEの副作用が完全に無くなってないし、確か手術は左を向いてやるので術後左肩の激痛も予想される。

 

何度やっても手術の前は不安になる。

 

 

PSE闘病記 その5

今回のその5は、x+5日〜x+7日についてリポートします。

 

その4で発生した後遺症のその後。

 

「腹痛」

いろんな刺激で痛みが響いていましたが、時間の経過と共に響かなくなってきました。

しかし変な格好や少し強く押したりするとまだ痛いですね。

 

「発熱」

この間は36度代をキープできました。

x+8日に採血しその結果によって1日二回の抗生剤点滴の継続か終了が決定するようです。

総合病院というやつは、1週間単位での経過観察が主流のようなので、こちらもそのつもりでいないとヤキモキします。

 ハッキリ言うと点滴が嫌いです。

血管が細く、3回に1回くらいは刺す時に失敗するし、、看護師の中には謝らない奴もいますね。

 

「腹水」

この間極端な腹水の増加は見られませんでした。

医師は体重の変化を見て利尿剤の種類や投与方法を決めると言っています。何らかの客観データが欲しいようで、患者の体験や経験に基づく申告では動かないようです。

治療が対処療法なので、腹水も実際に起こって患者が苦しくならないと何もしない。という日本の医療の姿勢をみたような気がします。

 

「首筋痛」

 おかげさまでこちらもだいぶ緩和してきました。

痛み止めの薬の服用も痛くなさそうだったら患者の判断で止めてよいか?…と医師に投げかけたが、数日分処方されたものは飲み切って欲しいと反対された。

飲み切ろうが止めようが、痛み止めは首筋痛の根本原因を取り除くものではないが、腹痛等の他の症状がある中で、止めて少しでも痛い思いをする可能性を敢えて高める必要も無いのでは…

という医師の説明には納得出来る部分もあったので飲み切ることにした。

痛みは、モーラステープという貼り薬と横向き寝を極力しないとタオルを枕にして首筋に当てるだけにして頭の高さを抑える…この三点…別に医師からアドバイスされたものでは無い…実際にはこの三点で少しづつ引いてきた。

横向き寝が常だったので横向き寝をしないというのが辛い。

PSE闘病記 その4

PSE闘病記 その1は、手術日前日。

手術日をx日とするとx-1日。

その2は手術日なので x日。

その3は手術日の翌日なので x+1日。

このその4は、x+2日〜x+4日までをリポートしたいと思います。

 

この間、いくつか既に指摘されているPSEの直接的副作用の中で私には、腹痛、発熱、腹水が発生しました。

加えて、腹痛をかばって寝ていた為か首筋を痛めてしまいました。

 

「腹痛」

最初は肋骨の裏側というか脾臓自体がズキズキ痛むパターンでしたが、これが引いていくに連れて、咳、くしゃみ、腹筋に力が入る時に痛みが響くように変化していきました。この響くというのは、手術するとよくあることではありますが、いつになったら無くなるのか予想がつかないのがもどかしいですね。

対策は痛みの緩和、痛み止めの服用しかありません。点滴で入れるとよく効きます。

 

「発熱」

術後私の場合、37度後半の熱が続き、抗生剤の点滴をx+4日現在継続中で、朝方は36度台になって来ました。

 

「腹水」

肝臓疾患を持っている場合、腹水が溜まりやすいような気がします。

私の場合、過去に何度も腹水は経験しており、何となく身体が腹水の信号を発してくれるので先に医師に腹水が溜まりだしている旨を伝達しました。

対策は利尿剤の服用ですが、点滴で入れるとよく効きます。

 

「首筋痛」

首筋から肩にかけて、痛みが走るようになりました。最初は甘く見てたのですが、夜中余りの痛さに眠れず整形外科受診を希望しました。

レントゲンの結果メスを入れなければならないような状態では無いとの判断でしたので、モーラステープという貼り薬とカロナールという痛み止めの内服で、x+4日現在痛みはピークの半分になりました。もう暫くこれを継続します。

PSE闘病記 その3

今回は手術翌日の様子を書きたいと思います。

PSEの副作用として知られているのは、、、

「熱が出る」手術すると大体熱が出ますね。対策は抗生剤の点滴。

「腹痛」脾臓の一部の血流が止まるという事はその部分が死ぬという事なのでその過程で腹痛が発生するらしいです。直接的な対策は無く痛み止めが唯一の方法です。この痛みは人によって異なり、まぁそうですよね、数日間唸る方もいらっしゃるそうです。痛みは、キリで刺すというよりは重いズキズキするような痛みです。

私の場合は、手術当日の痛みを10とすると翌日は5〜6くらいになっていました。

しかし術後で、痛みもあるので食欲は無く、栄養剤の点滴で生き延びるという1日でした。

 

終日ベッドの上でどよーとしていました。

 

PSE闘病記 その2

さて手術当日の朝が来ました。

カテーテル手術は麻酔科の医師が行います。(この病院では)

この医師は以前に、胃静脈ののBRTOをやってもらった事があるので以前のBRTOとの比較の話をしたりして準備が進みました。

 

カテーテルを入れ入れる所は局所麻酔。

局所麻酔しても血管にカテーテルが入る時は少し痛い。

 

造影剤で血管の位置や太さを確認しながらターゲットとなる血管を特定。

次にその血管の何処を塞閉するかを決めジェルを注入。

CTのようなもので血流を確認。

脾臓の70%程度に対して血流を止めるのでこの作業を何度か繰り返すことになります。

 

造影剤の副作用で身体が熱くなり、ジェル注入時にはその部分がカーッと熱くなりました。

私の場合、約2時間かかりました。

 

動脈に穴を開けてカテーテルを入れたので、カテーテルを抜いた穴を止血する為に5時間程度仰向け絶対安静状態となりました。

 

この間にお腹が痛くなります。脾臓の辺り、左乳首から下の方にかけて鈍痛が続きました。

これが曲者。かなり苦しいです。

痛み止めの点滴で辛うじて眠れるかどうか、私の場合夜中に何度も目が覚めました。

 

手術当日はこうやって過ぎていきました。

PSE闘病記 その1

脾動脈部分塞閉、PSEと呼ばれる手術を受けた。

 

〜 以下は私が医師から聞いた内容です。私は医師ではありませんので正確な情報は医師と確認下さい。〜

 

肝硬変から食道静脈瘤ができ、それが破裂し吐血と下血。

(5〜6人に1人は命を落とすこともあるらしい。)

食道静脈瘤の処置は二回ほどやったのだが、急に一つが大きくなったのかそこが破裂。大きくなった理由も今となっては不明。

タクシーで病院に駆けつけ、医師からは何故救急車を呼ばなかったのかと怒られたが、間に合ってEVL処置で治療。

その時のCTで脾臓が肥大している事が判明。

肝臓が悪い為、肝臓への血流を肝臓が処理しきれず脾臓に流れ込む。脾臓から出ている門脈に流れる血流も増加。門脈が処理しきれなくて胃や食道に瘤が出来る。大雑把にはこんなメカニズムのようだ。

脾臓に入る血流を減らす為に脾動脈の何本かを医療用のアロンアルファで詰めるのがPSEという術式のようだ。

 

脾臓の場合は足の付け根の太い動脈からカテーテルを入れて行く事になるようです。私の場合は右足の付け根、鼠蹊部と言うらしいです。

 

手術の前日に入院。

採血、心電図、レントゲンを取り夕食を食べて就寝。

前もって点滴のラインを取りました。

病院の段取りの都合で1日前から点滴の針を刺すというこのやり方、どこの病院でもやっている事ではありますが、患者ファーストではないですね。

それが当たり前になって誰も異議を唱えないところが問題点のような気がします。

 

手術当日のお話しは次回に続く。

 

相棒-劇場版IV- 首都クライシス 人質は50万人!特命係 最後の決断

~~ネタバレするかも・・ネタバレするな~~

 

 

 

 

 

 

観てきました。

最終的な黒幕(鹿賀丈史)は早々に想像がつきます。その背景にあるものが

徐々に解ってくるという仕掛けのようです。

冒頭のヒロイン瑛里佳 (川口まゆ)が10歳の時に起こった領事館員大量殺害と誘拐事件のシーンはちょっとホラーが入っていて怖かったです。

全てはここから始まったのかと思ったのですが、実はもっと以前(太平洋戦争)に、黒幕が南方の島で経験した悲惨な過去にこの事件のルーツがありました。

刻々と犯行時間が迫る中、右京さんが犯人の過去を紐解いてくのですが、ラストシーン

何故右京さんが犯人の前に飛び出し、狙撃されたのかについての謎が一番難しかったですね。

 

ラストのラストシーン、右京さんが「もう少し」と言った時の心境については謎のままこの映画を観た人に投げかけられた最後の謎だったのかもしれません。