医師は「神」なのか

さいたま市にある某医療センターの若い内科医の弁。

医師の言うことを守ってくれていれば、こちらも協力して治療に当たるが、守ってくれていなければ、治る意思が無いということなので治療は出来ない。

 

その時は、そりゃーそーだよな…って思ったが、その考えや発言は世俗界では通じるかもしれないが、医療の世界で医師が発言してもよいものだろうか、、

 

ナイチンゲールのように敵味方の分け隔てなく、眼前の患者を助けるのではなく、医師の言うことをきく患者にのみ手を差し伸べる的な発言。

その発言主と友人とのプライベートな会話の中ならいざ知らず、患者に対して話すという、オフィシャルな関係での発言。

その神経は私には理解出来ななっかった。

 

聖人たれ!と言うつもりは毛頭無い。そんな事は期待もしていない。

しかし、医師という職業を選び、実際に医療の現場で他人の命と向き合うブロである以上、その発言は無いんじゃないの…とは言いたい。

 

積み上げられて来た症例パターンと、検査データから病気を特定し、その病気に対しマニュアル的に治療パターンが決定し、そのマニュアル通りに進めるという現代の医療システムは合理的ではあが、医師もまた人、、という側面が医師の要請過程から抜け落ちているように思える。

 

この病院では以前にも別の内科医からこんな事を言われた。

あなたは肝硬変で他人より寿命が短いのだから、、、

ホホーあなた(医師)は人の寿命を司るの 神 なのか。

確かに統計的にはそうであろう。それを否定するつもりもない。

日本人の平均寿命より短かくしか生きられないかどうかなんて、本当に 神のみぞ知る の領域。

加えて、患者本人が寿命の事を尋ねてもいないし、寿命云々の話をしなければならないような問答でもなかったので、びっくりした。

この医師も患者を自分と同じ 人 だと思ってないとしか思えない。

この医師は、辞めて開業している。

 

これら二人の医師の共通点は、同じ病院に勤めている(いた)と、女医であるという点。

偶然だとはおもうが、、、

 

医師は患者に対して100%強者の立場にいるからこそ、、

医師という世間から尊敬される職業に従事しているからこそ、、

医師には、マニュアルに精通するだけでなく、同じ人間という基本的な事を忘れて欲しくないと望みたいのだが。

望んではいけないのだろうか。

それと、そんな医師が日本にこの2名だけであって欲しい。

パーミロール

 

 

よくAmazonを使います。必ずしも最安値ではありませんが商品掲載点数の多さが最大の魅了ですね。

私は色々と病気を抱えており、薬や病院で使うようなちょっと特殊な傷口処置用品も時々買います。

ここでおすすめ品をひとつ。

傷口を防水したりする時に使う粘着フィルムです。

名前は、〔日東メディカル〕優肌パーミロール

横幅サイズは色々あります。縦は適当に切って使います。

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他のメーカーからも出ていますがポイントは「柔肌」何度も貼ってはまた貼るという人にはこれが経験上はベストでした。

傷口は、先ず洗浄(消毒ではない)、次に薬というのが今のトレンドです。塗った薬が外に漏れないように、同時に外からの汚れが傷口に直接触れないようにこれでピタッとシールします。パーミロール自体には薬の成分はありませんのでお間違えないように。

対象となる方は多くなさそうですね。笑

何して遊んだ? part 4

さて、一浪の末東京の有名私立大学に入学できました。芦田まなちゃんがそこの中学に進学するのではと言われています。

大学時代は遊びましたね。勉強は一切していないと言っても良いくらいです。(自慢する所ではない)

第1に麻雀。音楽サークルでパーカッションをやりながら、朝から雀荘通い。酒を飲んでは雀荘通い。

アパートに帰れず徹マンなんて事も度々でした。中村正俊がやってたと言う雀荘が行きつけでした。

 

次にディスコや合コン。私が大学に入った1980年代中頃は、ディスコブームでもありました。新宿のブラックシープ、六本木にはファーマーズマーケット等いっぱいあり、週末は合コン花盛りでした。

ダンパ(ダンスパーティー)で知り合い合コンをセッティング。ダンパは大学の大きなサークルがホテル(帝国ホテルなんてのもありました)を借りて開催していましたね。同じく地方から上京してきた友人や、サークルの仲間と何度も行きましたが、残念ながら結ばれるような事はありませんでした。泣


引き続きボーリングもやりました。サークルの先輩の車のトランクにボールを入れさせてもらい、夜中に青山ボーリング場(今はありません)とか、田町ハイレーンとかに出没していました。

 

そのサークルの先輩には本当にお世話になりました。その方も三重県出身なのですが、高校から上京されていたので東京の事が詳しく、音楽、ファッション、流行りとか教えてもらいました。JJの創刊号を持っていました。今やプレミアムかも、、

車で、馬事公苑ロイヤルホスト。当時は珍しい24時間営業の店でした。ユーミンが作詞のネタを客の会話から拾っていたと言われているレストランです。山手のドルフィン、横浜山手にあるレストランでユーミンの歌詞に出てきます。原宿(今とは違い落ち着いた雰囲気がありました)や公園通りの洒落たカフェにもよく行きました。そんな時はいわゆる○○ボーイに本人はなりきっていましたね。

 

このように遊び惚けた結果、留年。5年かかってやっと卒業できた次第です。 

何のアピールポイントも無い割には海外勤務がしたいという希望だけはありました。今度は日本から出たかったんです。結果、時期も悪かったのですが、就職にはちょっと苦労しました。

 

何して遊んだ? part 3

金山団地で15の春(高校)を迎えました。家からも近い(徒歩通学でした)県立高校へ進学。ここは比較的新しい高校で同じ学区(当時は第7学区)に福岡県随一の修猷館高校がありました。

ここでも部活をやっていましたし、当時は修猷館に追いつけとばかりに朝や放課後に補修授業が組まれていましたので、いわゆる青春…的な遊びはあまり無かったと思います。

そんな中、アイドルに目覚めたのはこの頃です。当時は天地真理、中3トリオ、ピンクレディ、浅田美代子麻丘めぐみなどなど沢山のアイドルがテレビの音楽番組に出演していました。これを見て、振りを覚えて学校で仲間に披露して盛り上がっていました。当時は2〜3回見れば歌詞と振りがほぼ覚えられたのですが、最近では忘れる方が多くて…

ボーリングも続けていました。ボーリング場主催の大会にエントリーしたりもしていました。成績は飛び賞狙いですが。

最高の景品は梅酒…未成年なんですが。

中学時代に友達のお母さんから教えてもらった麻雀を友人に教えて、麻雀もしていましたね。ジュースをかけたくらいですが。高3になってもやっていました。(現役合格なんかする訳ないですな)

パチンコにはじめて行ったのもこの頃です。パチンコは私の性格に合わなかったのでのめり込むことはありませんでした。じーっと同じ動作を続けるのがダメでした。

母親と期末の数学で100点取ったら1万円という賭けをして、まんまと1万円せしめた事もあります。2回目は拒否られましたが、、笑

高校時代も色恋沙汰も無く、高3の受験シーズンを迎えました。

勉強なんかしてないので、現役合格は夢の夢、、予定通り浪人生活に突入です。

これまで振り返ると、悪い遊びもせずに、田舎の子供が田舎の少年に成長しています。

浪人時代は、今は無き水城学園という予備校に通いました。当時、東京の予備校から有名講師を博多に招いて授業をしていたのはこの学校くらいしかありませんでした。

やっぱり有名講師の授業は一味違い、大学受験勉強とはどう進めればいいのかが納得でき、授業が楽しかった記憶があります。加えて講師が実際に教えている大学(当時は大学の先生がアルバイト的に予備校でも教えているという形態がほとんどだったと思います。)の話し等を聴くうちに、福岡を出たいという気持ちを強く持つようになりました。

東京で神田川のような学生生活をおくるぞ! 

このスローガンの下毎日真面目に予備校に通いました。遊びらしい遊びをしなかった一年でした。

何して遊んだ? part 2

昭和40年代、中学に入ると部活があるし、勉強も忙しくなるのであんまり遊べませんでしたね。

ラジオを聴き始めたのはこの頃です。FM放送の音楽番組をよく聴いていました。初めてのリクエスト曲は、森山良子さんの "歌ってよ夕陽の歌を" でした。

洋楽も聴きました。本格的に音楽と出会ったと言えるかもしれません。

ボーリングの第一次ブームの真っ最中でしたね。2時間待ちはざら。お年玉でマイボール、マイシューズを買いました。

中山律子、須田加代子、並木恵美子、男子では矢島、山中、大橋などのプロがテレビのゴールデンを賑わしていました。

マイボールを持っている割には腕は上達せず、アベレージも150点台でした。でもボーリングはその後大学生まで続けていました。

中学の3年間はあっと言う間に過ぎて行った気がします。その頃住んでいた団地(小学生の時とは違う団地、金山団地)には、真ん中辺りに売店がありそこに同じ団地に住んでいた仲間がそれぞれの部活終わりに集まって来て、喋ったり、ジュース飲んだり、売店の兄ちゃんと一緒に遊んだりしてましたね。

金山団地、今や地下鉄が走っていますが、当時は交通手段といえばバスのみ。都心の天神まで40分くらい。越して来たばかりの頃は、ここは辺境か…本当に福岡市か…と思いました。周りは田んぼ、梅雨の頃にはカエルの鳴き声が煩すぎて眠れないなんて事もありました。

ちなみに部活は軟式テニスでしたがハッキリ言って弱かったです。笑

そんな色恋沙汰も無い、平凡な田舎の中学時代でした。

何して遊んだ?

今週のお題「何して遊んだ?」

私は昭和30年代福岡市の生まれ、その頃福岡市にはまだ米軍基地(板付基地、今の福岡空港)があり、FENがラジオから流れ、国道3号を米軍のトラックがバンバン走っていましたし、中洲には米兵がいました。

世間のニュースが60年安保一色の時は、意味もわからず「安保反対」と叫びながら家の周りを回っていました。

テレビではチャンバラもので、隠密剣士、アニメでは鉄腕アトム。フラフープもやりましたがあんまり上手ではなかったですね。ダッコちゃんもありました。

昭和40年代、小学校時代には、トランプの大貧民が流行り、定番のドッジボールに、リリアン編みを駄菓子屋で買って紐を使ってました。そう言えば綾取りも流行っていたのでよくやりました。2種類の一人綾取りが今でもできます。笑

巨人大鵬玉子焼きの時代で草野球もよくやりましたね。

団地に引っ越した時トイレが水洗だったのに驚きました。その団地には毎週のように金魚すくい屋さんが来ていて、一枚10円のポイでは10匹に1匹貰え、20円のポイではすくい取り。10円のポイで最高117匹すくいました。

その団地にはたまに、ハブとマングースも来ていましたが、一度も戦うところを見せてはくれませんでした。笑

まだまだ日本も貧し時代で、デパート(岩田屋)の屋上にあったプレイランドに連れて行ってもらうのが凄い楽しみでした。

Little Glee Monster はじまりの歌 in 武道館

 

 

2017年1月8日( 日)

強力な武器を使いこなしてきた少女達

当日はあいにくの雨模様。物販の開始時間が13時と発表されて少し悩んだが、物販でのタオル他の購入を断念。
(若いファンが朝から並ぶに違いないし、2時間以上の行列は覚悟しなければならないであろうと予想。当日の天候と私の体力を考えると無理はできない。)
予想通りタオルやパーカーは早々と完売したらしい。

開場15分前に到着。席はアリーナ7列目の中央辺りと良席。

ライブレポートについては、これらを参照してもらえれば十分。
http://natalie.mu/music/news/216151 ナタリー
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160906-00010016-realsound-musi
Yahooニュース
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/09/kiji/20170108s00041000241000c.html
スポニチ
http://www.m-on.press/music/0000090851 M-ONプレス

個人的な感想としては、、、
1.プロのライターの方のレポにもあるが、歌唱のクオリティが高い。
そんな事は最初から解っていることではあるが、この広い武道館でイヤモニも付けずに(いつも付けてないが・・)これだけ歌えるというのは、凄い以外の言葉が見つからない。
WOWOWでは放送されなかったが、バンド紹介の時にメンバーとバンド(楽器)の掛け合いがあった。よくJAZZシンガーはスキャットでピアノやギターといった楽器と掛け合いをするが、リトグリはもっとSOULFULな掛け合いを演じてくれた。
それに声を張って歌う役割が多い、芹奈と麻珠の掛け合いは鳥肌ものだった。
こんなのを見せられたら・・・若い娘でちょっと歌が上手いアイドル?グループなんじゃないのリトグリって・・と思っていた方々はノックアウトされたに違いない。
そんな事を思っている人は当日武道館にはいなかったが、それでもあらためてノックアウトされたファンは多かったに違いない。(私もその一人)

2.ダンスにも挑戦しエンターテイメント性を高めている。
メンバーの中にはかれん、MAYU、芹奈のように小さい頃ダンスもやっていた子もいるが、リトグリはあくまでもヴォーカルグループとしてデビューしたので、歌に合わせた簡単な振り以外のいわゆるダンスと呼ばれるものはほとんどやってこなかった。
今回の武道館では、Catch Me If You Canからの3曲では、金ラメの衣装でポールダンス風の椅子を使った振りや、ハットとステッキを使ったブローウエイミュージカル風の振りを披露してくれた。
まだまだ「色気」にはほど遠いグリ娘ちゃん達ではあるが、このコーナーでメンバーというよりは運営サイドのリトグリの今後に対する考え方や方向性が垣間見えたような気がした。
歌だけで10年後も勝負するのか、仮にショービスの本場アメリカを視野に入れるのであれば、リトグリの歌唱力だけでは勝負には多分ならない。ラスベガスの一流ホテルでの1ヶ月連続公演とかを実現するのであれば、歌唱力だけではない「何か」の要素が必要となると思われる。ある程度のダンス力(ダンサーではないのでそこまでは不要と思うが)も必要だし、加えて楽曲、表現(日本テイスト)、お国が違っても理解してもらえるストーリー・・・まだまだ彼女達が吸収していかなければならないものは多い。
しかし、SONYという世界レーベルのバックも付いているので一つ一つ積み上げていって欲しいものである。
私からの提案としは、、是非リトグリのミュージカルを観てみたい。既存のミュージカルならウエストサイドストーリーを始めとする誰もが知っているもの、(ライオンキングはもうひとつかな・・)、新しくリトグリ用に作ってもらってもいいかもしれない。
そのミュージカルステージで全国ツアーとかやってくれるとファンも喜ぶことでしょう。

3.そこまでやらなくても・・と思わせる全力姿勢
ライブを観た人はご存知の通り(WOWOWでは放送されなかった)、アンコールが2回ありました。(個人的には運営側の想定の範囲内だと思っていますが・・)ファンとしては当然のことながら大喜び。その頃には既に2時間半近く歌っているので、流石のメンバーも疲れているようでした。MAYUの声はかすれていたし、麻珠先輩も音を伸ばしきれない箇所もあったようです。芹奈はステージ上を動き回り、走り回っていたので、体力的にもピークに達していたのにもかかわらず、曲の最後で「ジャン」とジャンプして終わる時にヘドバンとかするものだから、ステージに倒れ込んでしまいました。
親目線で言えば、全力を出し切る事はプロとしては当然ではあるが、倒れるまでやるのは止めて欲しかったですね。それで身体に変調をきたしたら元も子もありませんから。
しかし、そんなグリ娘ちゃん達の武道館ライブに対する姿勢は、お客さんの感動を呼んだのも事実です。
私の後ろにいらっしゃった、大人ガオラーの女性はアンコ-ル2回目が始まる時から、「もうええよこれ以上やらなくて・・」とボロボロに泣きながら叫んでいました。
当然多くの若手ガオラーの女子達も感動で泣きながら、推しの名前を絶叫していました。こんなステージ、音楽に対する全力姿勢も多くのファンを惹き付ける所ですね。

4.リトグリの未来年表
http://ameblo.jp/rusticvillage/entry-11866376457.html
私は、2014年5月に書いたブログ で3年後に武道館に立っていると書いていました。私の予想より数ヶ月早くリトグリは武道館に立ちました。本当に凄いですね。
グリ娘ちゃん達の次の目標は2020年東京オリンピックのオープニングセレモニーで歌う事。今回の武道館コンサートの成功をみると可能性はぐっと高まったと思います。
そこで、リトグリの未来年表を考えてみたいと思います。
(もしろん私の希望的観測も含めての話ですのでその点はご考慮ください)

2017年
春 全国ホールツアー(既発表)
夏 複数のフェスに出演
7月のFUJI ROCKや8月のROCK INや サマソニあたり
秋 秋の全国ツアー ファイナルは東京DOME
冬 クリスマスコンサート(東京国際フォーラムホールA)
紅白歌合戦
・TVドラマの主題歌、映画の主題歌がヒットする。

2018年
リトグリミュージカル 東名阪で全4公演
夏 初の海外フェスに出演
リトグリ冠番組スタート 音楽ジャンルにこだわらずゲストを迎え
音楽談義とコラボ。ヴォーカルだけでなくインストのゲストとも
共演してもらいたいですね。
秋 全国アリーナツアー
さいたまスーパーアリーナ大阪城ホール、武道館、代々木第一体育館
横浜アリーナ日本ガイシホール神戸ワールド記念ホール、マリンメッセ福岡・・等
紅白歌合戦
年越しライブ・・最年少MANAKAちゃんが18歳になるので。

2019年
この年からは大箱(DOMEクラス)のツアーと並行して、全国の市民会館クラスの会場を回る全国ツアーが並行して開始される。(ファン層の方寄りが無くなり、実質的に国民的アーティストの仲間入りを果たす。)
ロンドンとパリで日本ウィークに合わせた単独ライブを行い好評を得る。

2020年
東京オリンピック開会式でのパフォーマンス

5.課題
①ファン層の拡大 現在は10代の男女(特に女性)に大人気であるが、これをもっと幅広い年齢層にどう拡大していくか。
②楽曲的にもファンの年齢層に合致するような曲ばかりだと世界には打って出れないなので、①とどうバランスを取りながら楽曲の幅を広げていくか。
③そろそろチケットがプラチナ化し始めているので、早目の買占め転売業者対策が必要かもしれません。
④リリイベも集まる人が多くなってきているので、出来る場所がますます限られてくるし、それにつれて特典券のゲットが難しくなることが予想される。

まぁ芸能生活を長く続ける事自体がさほど簡単な事ではないので、これらを課題と
呼べるのかどうかも意見が分かれる所だとは思います。
歌唱力という強力な武器を使いこなし、それにエンターテイメント性も獲得しつつある
リトルグリーモンスターから今後も目を離せません。